余白と陰影によるデザイン2024.10.18
第四回目となる今回のジャーナルでは、宿の顔となる「ロゴ」、そして各客室の顔となる「客室サイン」の製作にまつわるお話をご紹介できればと思います。
「撚る屋」のロゴと客室サインのデザインを手掛けたのは、書くことを主軸に、紙媒体を中心とした製作や店舗のアートディレクションなど、グラフィックデザインを中心に幅広いデザインを手がけてきた 「omote」という屋号を掲げ活動する浦川彰太さんです。
長く言葉を扱う仕事についてきたという浦川さんは、デザインを手掛ける際、表面的な美しさだけでなく、輪郭や周囲の事象など目には映らないものも意識して、見えているオモテと、見えないウラの調和が保たれたデザインを作ることを心がけていると言います。
「撚る屋」のデザインの骨子を固めるにあたり、浦川さんは岡山の郷土に関する書籍を数多く出版してきた岡山文庫の書籍を読み込みます。街の人々が、時代に応じて選んできた文化の変遷を追体験することで、街のこれまでを尊び、これからの姿を担うことになる「撚る屋」の顔となるロゴがどのようなものであるべきか、ぼんやりと見えてきました。
結果、伝える側の意図をできるだけ小さくして、ロゴを見たお客さまが、それぞれ自由に想像し、意味を感じることができる余地を残したデザインが完成しました。デザインの核となっているのは、繊維のまち倉敷を表すシンボルで、撚る屋の「撚る」という言葉とも関わり深い「糸」でした。浦川さんは、モチーフとしての糸をデザインの道具として捉え、実際に糸を撚り合わせてロープを製作し、それをスタンプのように用いることで、花の蕾のようにも、人の立ち姿のようにも見える、「撚る屋」のロゴを生み出しました。固くなりすぎず、凜としすぎない、それでいて手で作られた温もりと確かな質感が伝わるロゴを目指したと、浦川さんは語ってくださいました。
また、我々撚る屋チームと浦川さんで客室サインのデザイン検討を進めていた際、「名前」ではなく万国で共通する「モチーフ」のみでのコミュニケーションに豊かさを感じ、客室サインを数字や文字にするのではなく、木の彫刻作品にしたいという話になりました。そして、そのモチーフは倉敷にまつわる「蔵」や「橋」というデザインもそうですが、改修前の旅館の1室に「遙照」という近くの山の名前が使われていた背景や、この建物にはよく渡り鳥が来ていたという町で聞いた話など、倉敷という「街」や撚る屋の「場所」に関係するモチーフを選びました。
そして、その客室サインの彫刻を担当したのは、東京藝術大学大学院 美術研究科彫刻専攻を修了後、アーティストなどを生業として暮らしている、髙山瑞さんです。
髙山さんは、大学時代に学んだ「彫刻は工芸であってはならない、職人になってはいけない」という、セオリーに対して、近年疑問を感じていたそうです。そして、用途のある彫刻、生活に溶け込む彫刻の制作に関心を傾けてきたと言います。
今回の制作は、浦川さんがモチーフをイラストに起こし、それをもとに髙山さんに彫刻制作を依頼する形で始まりました。最初の浦川さんが制作したデザイン案は、彫刻としての彫りやすさを重視し、シンプルなものだったと言います。しかし、その後の髙山さんとのやり取りを通じ、彫りやすさを重視してデザインを簡略化するのではなく、むしろ手で仕上げる良さを活かすために、デザインに引っ掛かりやノイズを増やすことに注力したと言います。
平面の作品を見る際、我々はどうしても線にばかり目がいってしまいます。今回の作品も、一見すると線を際立たせるように彫られているように見えますが、髙山さん曰く、輪郭を彫ることで、線の周囲の傾斜と彫りの深さから「陰影」が生まれ、それによって描かれてはいない線が、浮かびあがって見えているのだそうです。
対話の中で、どちらともなく出た「なんでも硬めすぎない方がいいですよね」という言葉が印象に残りました。デザインと彫刻、まるで重ならないように思える両者ですが、インタビューの中で互いに「かく」ということを大切にしているという共通点が浮かび上がってきました。線を書くこと、絵を描くこと、そして木材を欠いて削り出すこと、お二人はそれら多くの「かく」作業の境界を曖昧にしたいのだと言います。
我々撚る屋チームが無茶ぶりの様に投げかけた「植物が持つ柔らかさ」、「人の手が介された証でもある非対称性」、「新と旧が折衷した倉敷の場所性」といったランダムな言葉たちが、お二人の目や思考と技術を通じて、また新たな性格が「撚る屋」に付与された感覚です。歴史や技術に対する信頼を軸に、温もりのある作品を作り出してきたお二人の仕事、明確に描かれた線ではなく、ぼんやりとした輪郭が照らし出す作品の魅力を、是非現地で体感いただけましたら幸いです。
撚る屋 上沼佑也、ライター 朝倉圭一